東京地方裁判所 昭和37年(ワ)1834号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決要旨〕一、狂犬病予防法第六条の趣旨によれば捕かく抑留された犬の所有者から所定の期間内に引取りの申出があるときは、これをその者に返還しなければならないことあきらかであるから、予防員は犬を抑留する場合には善良な管理者の注意をもつて保管すべき義務を負うものというべきである。
二、侵害された財産権と被害者との間に特別な精神的な結びつきが認められるような特殊の場合には、その精神上の損害に対しても別個に賠償すべきものとするのが合理的である。
〔事実と争点〕原告斎木三郎は昭和三三年六月ころから「ジエニー」と名付けたスピツ犬一頭を所有し、家族たる他の原告らとともに愛玩飼育していたところ、昭和三六年一〇月二四日午前一〇時ころ、「ジエニー」は原告住所地において被告の施設である東京都武蔵野野犬抑留所の職員によつて捕かくされ、右職員の運転する運搬車に積載されて前記犬抑留所に運ばれる途中、久留米町附近において逸走し行方不明となり、今日に至るも発見されない。前記のように「ジエニー」を捕かく運搬中逸走せしめたのは犬抑留所職員が注意を怠り十分な監視をしなかつたことに基因するものであるからその過失によることはあきらかで、被告都は国家賠償法第一条第一項の規定により右職員の行為により生じた損害につき賠償責任を免かれることはできない、と主張し、犬の時価一五、〇〇〇円、捜査のための人夫代その他の物資上の損害の賠償の請求をすると共に、原告らは「ジエニー」を家族同様にして飼育し、可愛がつていたので「ジエニー」が行方不明となつた結果いちじるしい精神的苦痛をこおむつたので原告ら各一人につき三〇、〇〇〇円の慰藉料の請求をすると述べた。
判決は狂犬病予防法第六条により予防注射済票をつけていない犬を捕かくしたときは予防員は善良な管理者の注意義務を以つて保管すべきで、本件逃走事故は都予防員の過失に基因するものであるから都は損害賠償の責任があるとし、また本件の場合には財産権の価格の賠償のみではまかないきれない精神上の苦痛が残つていると判断し、原告三郎に対し慰藉料の請求を一部認容(請求額金三〇、〇〇〇円にたいし金二、〇〇〇円)したが、他の家族らは「ジエニー」の所有者でないから慰藉料請求権を生ぜしめる根拠がないとして、その請求を棄却し、つぎのとおり説明している。
〔判決理由〕狂犬病予防法第六条によれば、予防員は鑑札または予防注射済票をつけていない犬を抑留しなければならず、抑留するためにこれを捕獲することができるが、犬を抑留したときは、所有者の知れているものについてはその所有者にこれを引取るべき旨を通知し、所有者の知れていないものについてはその旨を市町村長を通じて一定期間公示し、右期間を経過した後も所有者から引取の申出がない場合にはじめてこれを処分することができるとされ、かようにして処分した場合においても、その処分によつて損害を受けた所有者に対しては都道府県はその補償をしなければならないとされている。右規定の趣旨によれば捕獲、抑留された犬の所有者から所定期間内に引取の申出があつた場合には、これをその者に返還しなければならないことは明らかであつて、予防員は犬を抑留する場合にこれを充分に監視し、逃走、傷害、盗難等の事故が発生しないように善良の管理者の注意をもつてこれを保管すべき義務を負うものといわなければならない。したがつて、前記のごとく予防員高島利幸がジエニーを捕獲した後、捕獲箱を積載したオート三輪車を停車させ久留米町役場内に入る際には、犬がみずから逃走したり、または他人の行為により逃走せしめられたり、傷害を加えられたりすることのないように、捕獲箱に対する監視の目を離さないようにし、已むを得ず監視を解く場合には容易にその蓋を開けられないように厳重な施錠をして置く等の措置をとるべきであつたものというべきであつて、前記事故は右予防員がこのような注意義務を怠り、まんぜんと右役場内へ入つていつたため、その間に「ジエニー」がみずからまたは他人の行為によつて捕獲箱から逃走したことにより発生したものと認めざるを得ない。したがつて、前記「ジエニー」が行方不明となつたのは、右予防員の注意義務違反に基因するといわなければならず、同人に過失があつたことを否定することはできない。
最後に、原告らの慰藉料の請求について判断するに、一般に財産権の侵害により損害を生じた場合と、これに伴つて精神上の損害を生じたとしても、前者が賠償されるときは後者も同時に慰藉されるものとするのが相当であるけれども、侵害された財産権と被害者との間に特別の精神的な結び付きが認められるような特殊の場合には、その財産権の価格の賠償のみでは回復し得ない精神上の苦痛が残る場合のあることは否定し得ないところであつて、このような場合には精神上の損害に対しても別個に賠償すべきものとすることが合理的である。愛情をもつて飼育している犬が他人の不法行為により逸走せしめられ行方不明となつた本件のような場合は、まさに、これに該当するものと解するのを相当とし、加害者においても通常予見し得るところというべきであるから、原告斎木三郎は「ジエニー」の飼育者として前記物的損害賠償請求権のほかに慰藉料請求権を有するものといわなければならない。そして、その額は前記認定の諸事情その他本件に顕われた一切の事情を参酌して金二、〇〇〇円をもつて相当と認める。
然しながら、原告斎木三郎を除くその他の原告らは「ジエニー」の所有者ではなく、財産権の侵害を受けたものということはできないから、これにより精神上の損害を蒙つたものとは認め難く、同人らが原告斎木三郎の家族として同人とともに、同人に劣らない愛着をもつて「ジエニー」を慈しみ管理して来たものであるとしても、これのみで、法律上の慰藉料請求権を生ぜしめる根拠とすることはできないものといわざるを得ないから、同人らの慰藉料請求はこれを認容することができない。(江尻美雄一)